皆さんこんにちは、夢話のお時間です。いきなりですが皆さんは挫折したことがありますか 挫折とは「目的を持って企画や計画を立て、成し遂げようとしたことが途中で駄目になること」 のことを言うそうですが、ダメになることなんて、しょっちゅうおきますよね。
今回は、私が夢を一度挫折した、そんな経験談をお話ししたいと思います。私の失敗を参考に、今になってみれば失敗かどうかはわかりませんが、参考になればと思います。
人に圧倒され、構成された自分
パート1では、私が夢を持った時のルーツをお話しさせていただきました。今回はパート2として、人格形成に大きく関係した中学時代をお話させてください。
4人から100人へ
前回では、小学校で自分の夢を見つけたことを話ししましたが、そこから時は過ぎ、私は中学校へ進学します。
中学校、、、思春期真っ只中ですよね。良いのか悪いのか、私はさほど反抗心を持つことなく過ごすことになります。
これはあくまで持論ですが、思春期は、人生で初めて人が変わる、そんな時期だと私は思います。そんな中学時代は、同級生が小学校の20倍、というところから始まりました。そう、5人ほどだった田舎の小学校から出てきて いきなり、同学年の人数が100人を超える中学校になったのです。よもやよもやです。多すぎです、人が。
この時点でもはや、頭がショートします。みんな家族だと思ってた小学校ですが、中学校はまるで上京。小学校がたくさんあるから中学校だっけ、などとバカに考えていたときもありました。一クラスがすでに、母校より上回っていたのです。あの圧迫された空気と異様な緊張感、そして賑やかなクラス、溢れる人たち。僕は入学してからしばらく、無口なままで数日を過ごしていました。 と言うかどのようにして人と関わればいいのか、分からなくなったのです。
まずは敬語から
小学校の同級生は、次々に友達を見つけ、気がつけば私は一人。ひどく孤独を覚えたのを覚えています。回りからすれば、あまり人と関わりたくない人だと思われていたかもしれませんね。
そんなゴミゴミとした環境の中、まず始めに身につけたスキル、それは「敬語」でした。きっと、誰とも話が出来なかった自分が、これなら老若男女と話せる!と思ったのでしょう。先生に始め、同級生にも、そしてなぜか家族にも使うほどの変化。
おそらく、自分なりの出世術だったとは思うんですが、でも問題はそれなりにありまして、、、同じ歳の子にも敬語を使ってしまうと、距離が縮まるどころか、離れていくように感じてしまうのです。相手に不快感を与えず、かつ一定の距離を保つ、日本独特の文化のようなものが、そうさせているのでしょうか。目上の人には敬語という概念が強すぎて、歳の離れた兄弟にも使うようになってしまった時は、家族との距離も置いたように感じてしまっていました。
そうなるともう、違和感でしかありませんでした。でもそれ以外の方法がわからない、そんな中、助けられたのが部活動でした。入部を決めたのは、野球部。まぁ兄弟が行っていたので、自然と成り行きで入ることになったのです。人の名前を覚えるのも必死でした。特に先輩方は。ただそこから、私の生活が変わっていきました。
友達が一気に増える
部活動に入りると、不思議なもので、いろんな人を知るようになりました。スポーツはもともと好きだったこともあり、グランド繋がりで、サッカー部の人と話すことも増え、友達の友達を知ったりと、自然と友達の輪が広がりました。
ここまでに半年間はかかりましたが、部活の同級生や先輩方、クラスのみんなの名前を覚えることで、挨拶もするようになり、自分の学校生活が良くなっていったのを覚えています。今思うと、全く警戒しなくていい人たちの方が多かったのですが、恥ずかしさもあって慎重になってしまったんですね。まあ声をかけてみるということは今でも一番勇気が必要ですが。
交遊関係に困ったときは、まずは自分が好きな何かをしている団体に入ることが、友達ができる方法だなと、今思えばそう感じます。あとタメ口で話せること、これはかなり大事。距離感が一気に縮まるので要注意ですが、切り替えるタイミングを間違えなければ、ずいぶんと楽になりますね。間違うと、偉そうに見られてしまうので、そこんところは相手に合わせましょう笑
言えないこと
友達ができ、一緒に遊ぶことが増えました。もちろん、小学校からの幼馴染ともまだ関係は続いています。ゲームをしたり、野球をしたり、大人数でワイワイと遊ぶこともこんなに楽しいんだと、実感しました。
そんな中、ある日ふと友達の一人が言いました。「俺、将来プロ野球選手になるのが夢なんだ。」と。すると他の友人たちが言いました。
「お前にはなれるはずがない」
これ、井の中の蛙状態だったの私にとっては、かなり衝撃的でした。「え、夢って否定されるの!」と。そして自分の考えていた夢、まだ具体的に何も出来ない自分に、その現実味のなさに、私は自信が持てなくなってしまいました。どうせ馬鹿にされるなら言わないでおこう、と思い、夢を聞かれても「幸せに生きる」とかなんとか誤魔化していました。自分は否定されたくない、とプライドが邪魔をしたんです。
現にその時、声を大にして叫んだ、自分の夢を語った友達が、傷ついて 帰ってしまったあの姿を、今でも忘れられません。ただ残ったのは、人に否定されるのは悲しいことなんだと、高い壁ができてしまっただけでした。
回りと同じ、という安心
それからというもの、私は人と違うことに憧れをもちつつ、当たり障りなく特に刺激的な生き方はせず過ごしました。その方が、その時は安心できたのです。不思議と。きっと、自分が築き上げた友人の輪を、なくしたくなかったんですね。誰一人として。
せっかく仲良くなれたのに、自分の夢を打ち明けることで、それが変わることが怖かったんです。そんなことは言ってみないとわからないのは当たり前のことかもしれませんが、その時の私は、本当に、寂しかったんでしょう。
夢を言うことが一大事
そんな中でも、卒業するときに将来、夢を書かなくてはならないものがあります。そう、卒業文集です。
今思うと何を書いたか覚えていませんが、とにかくその時には当たり障りのない職業を選んでいたはずです。会社員や公務員になるなど考え、周りのみんなが何になりたいのか、探っているだけでした。
夢を語り、賑やかになっているクラスメイトもいましたが、私はその輪には入れませんでした。この頃にはもう、自分の夢を封印していたのです。
今となっては良い想い出
いかがでしたか学生時代の私を振り返ると、かなりネガティブな要素が出てきてしまいました。かなり暗ーい内容でしたが、こんな時もあります。
それに、この時期があったからこそ、今が楽になっていることも事実です。今はなるようになる、ということも考えながら生きられる、そして、やりたいことが人と違っても、何も悪いことはない!そう思います。
それに、悩んでいるように見えますが、結局100人近くの友人にも会えましたし、これでも楽しんだ学生生活だったんです。あの頃に戻るのもありだな~
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